君が笑えばみな笑う
俺の現在の座右の銘だ。

まずは自分自身が笑わないと相手は微笑んでくれない。
幸せや歓びを得るにはまずは自分が笑わなければならない。
そう言う想いから戒めとしている言葉だけど、病気で落ち込む長女を励ますために伝えた。
それと過去と他人は変えれない。変えることができるのは未来と自分。
俺自身がその事を忘れないためにも・・・
昨年2011年9月29日に出社後、25歳の誕生日を迎えたばかりの一人暮らしする長女から携帯に電話があった。初めての娘から携帯に着信記録。
あいにく携帯を机に置いて離席していたので電話を取る事が出来なかったのだけど何やら嫌な予感がした。
心の中で「ろくな話では無さそうだ・・・」そんな気がした。
つい最近、一緒に食事をしたばかりだったので誰かに不幸があったのか金銭的に困ったから助けてくれとか。
想いを巡らせながら娘に電話した。

「お父さん、うち入院してるねん!」
『どないしたんや?』
「熱が出て病院行って血液検査したら急性白血病かもしれへんからすぐ大きい病院行った方がいいって言われて紹介されて〇〇病院で診てもらったら入院することになってん!」
地元で癌治療では有名な病院。以前、嫁さんの親父が肺がんになって入院したこともあるので馴染みはある。少し因縁めいたものを感じた。
それにしても、長女は病気の総合商社みたいな子やなぁーなどと、どこかの政治家が言った言葉を思い出した。
白血病の検査や今後の自分の治療費が掛るのを気にして俺に説明しながら泣き出した。なんと言っていいか分からなくなった。そして、娘が不憫に思えて目頭が熱くなった。
『まーちゃん、検査結果がまだ出たわけちゃうから・・・
うちの親戚に白血病なんて居らんから大丈夫や!それにしてもドラマみたいな話やなぁ〜〜!どっちにしてもなるようにしかならん。じっくり診て貰ったらエエやん!疲れてるだけかも知れんしな!』適当過ぎる言葉で精一杯の気休めのつもりで言葉を出し病院に見舞いに行く話しをした。気晴らしに好きな音楽の話をしているうちに娘も少し気分転換になったのか電話の向こうで笑った。親子のせいか音楽の嗜好も似てるのだ。娘の笑い声にちょっと、救われた気分になった。
10月14日、勤務中に入院中の娘から携帯に連絡が入った。
「お父さん、ウチ白血病ちゃうかってんけどSLEって病気らしいねん。」
『・・・・』聞き慣れない病名に言葉が出なかった。しかし、難病っぽいのは察しが付いてどう慰めたものか思案しはじめていた。
「膠原病の一種らしいねん」娘が携帯の向こう側で俺に病気の説明をしてくれた。膠原病・・・・それは嫁さんの親父さんも膠原病、ベーチェットを患っていたので馴染みのある病気。その病名に運命、遺伝とは恐ろしいものだと薬を飲んだり病気で苦しんでいた義父の姿が浮かんだ。
SLE、全身性エリテマトーデスの症状、不治の病となる事、治療方法による副作用、また自分が急性であり大事に至れば死に至る恐れもあるとの説明している最中に電話の向こうで感極まって嗚咽して泣き出した。何でこの娘は生れた時からアトピーだったり高校生になっててんかん発作を起こしたり血族の悪い所ばかりを引き継いでいるのか・・・・その病気がちな生い立ち故に母親から疎ましがられ自虐の念からか長女に一線を置いて接していた嫁さんの顔が浮かんだ。
『まーちゃん、何で私は生れて来たんやろって思うやろ?お父さんやお母さんを恨みたいやろ?恨みたかったら恨んでええで。そやけど、これまで楽しいことあったやろ?彼氏が出来てデートしたりHしたり、悪い事ばっかりでもなかったやろ??お父さんとお母さんを恨んでもええけど自分が生れて来たことは恨まんといてな!まーちゃんは膠原病になってきっと何で私だけがこんなことにならなアカンねんやろって思うかも知れへんけど地震で死ぬ人も居れば他の病気になって死ぬ人も居てる。お父さんかていつどんな病気で死ぬかも知れへん。お母さんもゆか(妹)も病気や事故でいつ死ぬか分からへん。人それぞれ運命ってあると思うねんけど運命としたら諦めてくれ。そやけど悲しいことや辛いことばっかりちゃうで。きっと楽しい事や、嬉しい事も人生あるし。みんな寿命がどこまでなんか分からんねん。ホンマ急性白血病になって死ぬ人も居てれば交通事故で亡くなる人もおるねん。まーちゃんだけが病気になって苦しいわけちゃうねん。運命ってあると思うけど人生ってええ時もあれば悪い時もあるもんや。そやけど嘆いたり恨んだり泣いてばっかりやったらおもろないやん、出来たら寿命の長い、短いはあるやろけど笑って最後に結構幸せな人生やったと思える様に生きたらええんちゃうかな?!』
とりとめもない話に付き合って娘は電話の向こうでうんうんと自分を言い聞かせるように返事をしていた。電話を切る直前
『まーちゃん、出来たらお父さんより長生きしーや。』
「・・・・・うん。」
『また、元気になってこないだ食べに行った串カツ食べに行こう!』
「うん!!そしたらお父さんと串カツを食べに行くのを楽しみに頑張るわ!!」
『そんな気張らんでええから、適当にガンバレ!頑張り過ぎて折れたらガクッと来るもんやねん 笑』
「マイケルジャクソンも同じ病気やってんで〜!ウチ、適当に頑張るわ」
電話の向こうの泣き笑いに胸が熱くなる。
マイケルジャクソンの話題から例によってまた、音楽話になって親父の最近聴くアーティストの話に盛り上がり電話を切った。
疲れた(苦笑)落ち込む娘に超適当な話をしながらも励ますことでパワーを費やした感じだった。
暫くの間、見舞いに行く度、励ます度に俺の方がLOWに入った。
10月30日、病院を膠原病の専門医がいる大学病院に移ったので早速、見舞いに行った。人生って失うものも有れば得るものもある。山あり谷ありと言う表現と似てる気がするんだけど、ちょっと違うかな・・・・
仲違いしていた嫁さんと退院したら暮らすことになったって言う話を聞いて
本当は母親が大好きな娘に今度は病気もあるから意地を張らずに甘えればいいからと話をし『人生って±0やな。病気になって今までと違う展開になったし』なーんて適当な事を言ってると「ウチも今はそう思うようにしてる」って言うから親子だねぇ〜って言うか母親に甘えたいし妹とも一緒に暮らしたい気持ちが有るのは察していたから・・・3年間の1人暮らしに経済的にも疲れていた様子だったから。
薬のせいで丸くなった顔が子供の頃のような顔で笑えるのだけど少しは口元に空いたピアスの穴が塞がりつつあるようだ。退院するころにはピアス跡もだいぶ消えるだろうか?娘の顔は薬の副作用でムーンフェイス、丸くなったけど元気そうで安心した。娘の手首にある大きい珠の数珠のブレスレットに目をやると娘が
「お母さんがうちが早く健康になりますようにって買って来てくれてん!」嬉しそうに笑う娘の顔とその言葉を聞いた瞬間に娘の顔が一気に滲んだ。娘がそんな俺を見て笑いながら泣いた。そして、2人で笑った。
健康とは何事にも変えれぬものだが誰だってどんな病気になるか分からぬものだ。誰だってリスクを抱えて生きている。
治らない病気になった娘が可哀想であり心配ではあるけどこれも人生、運命か・・・
見舞いの後、立ち寄った中国整体の先生と世間話をしながら娘の話をした。いつも大きい声で片言の日本語をしゃべる先生だけど無言で丹念に俺の体を施術してくれた。気持ちええわぁ〜。。。
施術料はマイナス、心地よさはプラス。車の維持はマイナス、駆けぬける歓びはプラス。いつだってそんなもんやね(^^)
でも、少しだけプラスだといいかなぁ〜!帰宅後、webで見つけた
マイケルジャクソンのYOU TUBEを見てみるように娘に電話した。
親父の拙い励ましよりも的確に娘に伝えたかった言葉がそこにあった。
マイケルジャクソンの整形は有名だけど彼がSLEと言う病気だったことはあまり知られていない。SLE、ちょっとやっかいな病気だな。苦しい時こそ笑え!そうすれば活路は見えて来る気がする。
自宅に掛けていた「君が笑えばみな笑う」の親父の願い、想いを娘に教えた。
そして、今それを自分への戒めのために掛けていることを・・・

君が笑えばきっと周りも微笑みを返してくれるだろう。


俺自身も微笑みを忘れぬように今日を記そう。
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